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【連載】ベストカー本誌編集委員・梅木の「ちょっとした話」 Vol.29[さらば音羽の不夜城 編集部移転のご報告]

 毎週水曜日にお届けしている、ベストカー本誌編集委員・梅木智晴の「ちょっとした話」。今回はウメキの35年間分の「血と汗と涙」が染みついたビルの話。読みごたえのある長編ロマンです~。(ベストカーMate編集部B

■株式会社講談社ビーシーが45年弱お世話になった「第二音羽ビル」を旅立つ日がやってきた

 もうね、今回はこれ以外書くことないって感じです。

 2024年38日(金)をもって、ベストカー編集部……というか弊社、株式会社講談社ビーシーが45年弱お世話になった「第二音羽ビル」をあとにして、ベストカー編集部は近隣のビルに移転することとなったのであります。
 今まさに引っ越し作業の真っただ中で、ただでさえ雑然とした編集部は足の踏み場もないような状況となっています。

 そして上写真の中央が第二音羽ビル。ここの5階にベストカー編集部は入っている。屋上の歴史あふれる「ベストカー」看板がいい雰囲気。

■とにかく深夜になっても編集部員はひたすら机にしがみついて仕事をしていた……

  上の写真は202435日。片付け&掃除中のベストカー本誌編集部とベストカーWeb編集部の様子(段ボール箱などでゴチャゴチャ)。

 この日から時計の針を戻した35年前。思い返せば、私ウメキがベストカー編集部に転がり込んだのは19896月のこと。この時すでにベストカー編集部は「第二音羽ビル」内にあり、とにかく深夜になっても編集部員はひたすら机にしがみついて仕事をしていた……。

 なので、24時間室内の照明が消えることがなかった。そう、人呼んで「音羽の不夜城」。今じゃねぇ、もう、完全にコンプラ違反ですが、30年以上前はそんな感じでひ~ひ~言いながらベストカーを作っていたのでした。

■耐震基準で取り壊されることになる第二音羽ビル。生まれたのは1979年!!

 調べてみたら、この第二音羽ビルが竣工したのは19798月のこと。で、ベストカー編集部はこの年の10月にこのビルに入居した。

 ベストカー本誌創刊は197711月なので、創刊2年後からこの場所で本誌を作り続けていることになる。ザックリ1000冊以上のベストカー編集作業をここでしてきた計算だ。

 そして、第二音羽ビル。さすがに築45年ともなると最新の耐震基準に合致しないし、対応させるには多額に費用が掛かるということで、取り壊しが決定。そのため、講談社ビーシーは移転することになったのです。

■35年前。このあたりでひときわ高く、新しく、きれいなビルが第二音羽ビル

 私、ウメキが押しかけバイトで、ベストカー編集部に潜り込んだ35年前。第二音羽ビルはこのあたりでもひときわ高く、新しく、きれいなビルで、屋上の『ベストカー』の看板も首都高5号線から見え、ちょっとしたランドマークだった。

 でも今や、音羽界隈で最も古いビルのひとつに……。周囲には高層マンションや企業のビルが林立し、首都高速から屋上看板はほとんど見えなくなってしまった(なんだか寂しい……)。

■仕事&人生のほとんどを過ごしたビルだからねぇ~。思い出は尽きません

 1990年代~2010年頃まではとにかく連泊に次ぐ連泊。ベストカー本誌を1号作るのに締め切り間際の34日は編集部泊まり込みが当たり前だった……のです(涙)。

 谷田部取材の時なんて午前3時編集部集合から始まって、そのまま締め切り突入で5連泊なんてことも(驚!)。さらに、企画構成案など編集長からのダメ出しの連続でバキバキに折れそうになった心を、何とかつなぎとめて踏ん張ったのもこのビル。

 3月8日に発売される、最新「ベストカー410日号」でも触れているけど、もうね、比喩でもなんでもなく、ベストカーにかかわる全員の「血と汗と涙」が染みついているのですよ、この第二音羽ビルには!

 上の写真はおそらく1995年頃か? 深夜、編集部内にあるソファで倒れるように眠ってしまう編集部員たちの様子……。

■ありがとう、第二音羽ビル!! 新天地に移転し、ベストカーはますますパワーアップします!!

 そんな「音羽の不夜城」からあと3日で去らねばならない。もちろん、新天地に移転してもベストカーは変わることなく、いや、ますますパワーアップしてお届けしていきます。

 ……だけども、やっぱりなんというか、時代の節目というか、そんなものを感じずにはいられない、2024年の春の訪れなのでありました。

 そして上の写真は202431日。第二音羽ビルで作る最後のベストカー本誌の最終校了(締め切り)を終え、編集部のみんなで記念に撮った一枚。ありがとう、第二音羽ビル!!(ベストカー本誌編集委員・梅木智晴)