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【連載】ベストカー本誌編集委員・梅木の「ちょっとした話」 Vol.13[あれから34年。ヤタベの話をしよう]

 ベストカーMateの記事のなかでも好評を得ている、本誌編集委員・梅木の「ちょっとした話」シリーズ。クルマをこよなく愛する梅木、今回はどうやら過去へとタイムスリップしての話のようです。「前編・後編」の2回に分けてお届けしますが、今回は「前編」です。(ベストカーMate編集部B

■60近い私にとって「ゼロヨン&最高速テスト」と言えば、なんといっても『ヤタベ』なんですよ

 日本自動車研究所(JARI)のテストコースは現在、茨城県城里町にあって、ベストカー本誌のゼロヨンテストや最高速テストなどで使用することがある。常磐道の水戸北スマートインターチェンジから30分ほどの場所にある。

 でも、私にとっての「ゼロヨン&最高速テスト」と言えば、なんといっても『ヤタベ』なんだよね。50歳代以上のクルマ好きにとって、『ヤタベ』は特別な響きを持った言葉だったのだ。

 上写真を見てほしい。ヤタベのバンクを疾走するR32スカイラインGT-R Vspec。ヤタベを思い出す時に、頭のなかですぐ浮かぶクルマだ。

 私、ウメキがベストカー編集部にスタッフとして潜り込んだのが1989年。R32型スカイラインが登場し、フェアレディZZ32型となり、ユーノス・ロードスターが登場した年だ。秋には初代セルシオも出た。翌1990年にはNSXが登場する。そんな時代だった。

■『ヤタベ』の45度バンクをべたりと張り付くように疾走する姿を見続けた私。そこは憧れの地を飛び越えた「聖地」だった!

 1970年代から1980年代をクルマ好きとして育った世代にとって『ヤタベ』は聖地だった。南方と北方のコーナー部は角度をつけたバンクとした15.5kmのオーバルコース。高速周回路はトヨタ2000GTの速度記録の舞台となった伝説の地でもある。

 憧れすら感じる凄い場所だが、自動車雑誌の最高速テストで『ヤタベ』の45度バンクをべたりと張り付くように疾走する姿を見続けた私にとっては、憧れの地をはるかに超越した、まさに聖地。

 しかも、一般人が立ち入ることはまず不可能。ベールに包まれた謎の地、という雰囲気もあって、さらに聖地感は強まったのであった。

 そんな聖地で撮影した一枚が上写真。朝靄の高速周回路で動力性能テストの準備をするアルテッツァ。当時のタイム計測はトランクリッドに吸盤で装着した「小野ビット」で実施していたのである。

 ……最後に『ヤタベ』とは、日本自動車研究所の以前の所在地、茨城県つくば市の地域名。1987年に合併によってつくば市が誕生する以前、JARIの所在した地域は茨城県筑波郡谷田部町だったため、JARI高速周回路のことを通称『ヤタベ』と呼んでいたのだ。

 ヤタベの熱い思い出話、ヤタベの今……などは次回の「ちょっとした話」で紹介したいと思う。(ベストカー本誌編集委員・梅木智晴)