プレビューモード

【連載】ベストカー本誌編集委員・梅木の「ちょっとした話」 Vol.14[あれから34年。ヤタベの話をしよう/後編]

 毎週水曜日のお楽しみ! として市民権を得るのも近い気がする(!?)、ベストカー本誌編集委員・梅木の「ちょっとした話」シリーズ。今回は先週お届けした「ヤタベの思い出話」の2回目(後編)です。

 再度、お伝えしますが『ヤタベ』とは、日本自動車研究所(JARI)の以前の所在地、茨城県つくば市の地域名。1987年に合併によりつくば市が誕生する以前、JARIの所在した地域は茨城県筑波郡谷田部町だったので、JARI高速周回路のことを通称『ヤタベ』とベストカー本誌編集部員は呼んでいたのです。(ベストカーMate編集部B

1990年代前半は「ヤタベ」には頻繁に通った……。年間20回ほどは行き、動力性能のテスト三昧!

 1990年代前半の国産車は次から次へとハイパフォーマンスカーが登場し、ベストカー読者もどんどんレベルアップしていく動力性能が一番の関心事だった。ということもあり、とにかく当時は「ヤタベ」には頻繁に通ったものだった。

 最低でも月イチ、場合によっては毎号「ヤタベ」テストを実施したので、年間20回くらいは行っていたと思う。写真上はヤタベでのゼロヨン計測時の様子。高速周回路の直線で計測していた。後方が南側バンクで、北方バンク側へ向かって走っていくのだ。

 さらに下の写真。南方バンクを立ち上がり、メインストレートを加速している様。この直線の先には筑波山がそびえているのです。

■現在は高速周回路の痕跡はほぼ消え去り、新たな道路が敷かれ、ショッピングセンターやホテルなどが立ち並ぶ。寂しさがこみあげてくる

 そして今、「ヤタベ」の地は再開発され、上写真のとおり。あの楕円形の高速周回路を真っ二つに分断するようにつくばエクスプレスの高架橋が走り、スタッフが機材を準備し、テスト車両が待機した「小屋」のあった場所がちょうどTXの研究学園駅のあたりになる。やや寂しい思いである。

 高速周回路の痕跡はほぼ消え失せ、新たな道路が敷かれ、ショッピングセンターやホテルなどが立ち並び、新しい街に生まれ変わっている。パイロンを立てて、「ハンドリングテスト」と称してドリフト練習をやりまくった(笑)、ドライスキッドパッドには、現在はショッピングモールが立っている。

■しかし現在も「ヤタベ」を感じられる部分がある。それがこの写真。45度バンクの一部がモニュメントとして残されている!

  現在もつくば市には日本自動車研究所の研究施設はあり、あの「ヤタベ」の45度バンクの一部がモニュメントとして残されている。それが上の写真。南方バンクの一部と思われる。

 考えてみれば「ヤタベ」の地に高速周回路が存在したのは2002年までなんだけど、実際、ベストカーの取材で頻繁にコースを使っていたのは1998年まで。だから、私ウメキが「ヤタベ」に通ったのはわずか9年間ということなんだね。

 でもその9年間は確実に濃いものだった。「ヤタベ」の思い出が濃厚に脳裏に焼き付いているから……。(ベストカー本誌編集委員・梅木智晴)